ネタバレあり スリービルボード感想 悪が裁かれるというのはおとぎ話
娘をレイプされ殺された母親が、大きな三つの広告(ビルボード)を路上に出すところから物語はスタート。
「なぜ?ウェルビー所長」
「いまだ捜査されない事件」
「娘はレイプされ殺された」
みたいな内容。
娘を殺されたとはいえ破天荒すぎるかあちゃんの登場シーンでグッと心を掴まれます。
はじめは、「職務怠慢の警察 VS 娘を殺された母ちゃん」という構図で見始める。
展開的に、ハハ〜ン「捜査が進まない事件。広告を出すことで捜査が進展し、真犯人が捕まる」
という感じだな、と想像してたのだが、のちに完全に裏切られる。
物語で出てくる、母親、所長、ディクソンの三人がキーになる。
よく映画では警察は悪者として描かれ、被害者である母は完全に善だと描かれがちだが、この映画では違う。そこが見所だったりする。
ちょっと三人の紹介を。
所長
広告でものすごい批判をされ、職務怠慢だと思われている所長も実はしっかり捜査していて、それでも証拠が出てこないことを残念に思っている。
私生活では娘想いの良いパパ。母親が広告費を払えなくなりそうな際には広告費を支払ってくれたりもする。
ディクソン
ディクソンはキレやすく、黒人差別をしている。それに今回の事件でしっかり捜査をしていなかったり、広告屋をタコ殴りにしたりする。だが、実は父親が死んだ際に苦労しており、根はいいやつだ。警察署が燃やされた際も事件のファイルを抱え必死に火の中に飛び込む。
母親
冒頭で被害者として描かれる彼女。娘を亡くしたとはいえ、この母親はいわゆる良き母親ではない。
娘とは仲が悪く、旦那とも別居?しているし、いじめられている息子の同級生に暴力を振るったり、警察署に放火したり。(クレイジーすぎる)
冒頭で観客がこいつはこういうキャラだな、と思ったのを全部裏切られるのでついつい続きを見てしまう。
ここらへんで、あっしは
この作品の監督は
「悪人だと思った人が実は全然悪人じゃなかったり、善人だと思った人でも悪いことをしていたり、現実って善悪の線引き難しいよね」
ってことを描きたかったのかな?と考え出しました。
劇中で
「怒りは怒りを来す」
という表現があったが、母親の怒りが、どんどん伝染していく様はまさにその言葉のよう。
息子との関係が悪くなったり
別居中の旦那と揉めたり
旦那に看板燃やされたり
なんか知らない人に喧嘩売られて物投げられたり
デート相手にぶちギレられたり
いくら娘をなくした被害者とはいえずっと怒ってしかめっつらだったらそらそうなるわ、、、
んでもって最終的に犯人は捕まらず終わるので、えーーー!となるんだけど
最後まで見てしまったしなんかよくわからんけど面白かった。
この映画のテーマは?と聞かれたら
「善悪は現実ではきれいに線引きできない。
犯罪は悪だが現実では捕まらないこともある。」
ということだろうか。
普通の映画だと、最後に犯人を捕まえてハッピーエンドになるので
この映画もそのつもりで見てしまった自分がアホらしい。
現実では無残な殺人事件の犯人が幸せに暮らしていることもあるのに。
なんとなく漫画の「外道の歌」を思い出した。
外道の歌では、途中まで幸せに暮らしている加害者・殺人者がいるが
最後はきっちり復讐する。
この映画ではそれすらできない。
それが現実。
犯人が誰かは最後までわからない。
また、母親も警察署に放火しているのに捕まらないし
ディクソンも広告屋さんをタコ殴りにして病院おくりにしているが警察をクビになるだけで済んでいる。
別居中の夫も、看板を燃やすが捕まらない。
ある種無法地帯かな?と思わせるが、これも現実ではすべての事件が解決されるわけではないってことをあらわしてるのかな、と思ったり。
キーの三人
所長、ディクソン、母親
と
三つの広告
の対比でこのテーマを描いているのだろうか。
面白く最後までみれたし、テーマや構成について考えさせられる映画でした。